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Thursday, February 10, 2022

馳星周さん特別寄稿 羽生結弦の舞いに寄せて 「貪欲さこそが彼の持つ最高の才能だったのだ」 - スポーツ報知

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◆北京五輪 ▽フィギュアスケート(10日・首都体育館)

 フィギュアスケート男子で同種目94年ぶりの五輪3連覇を目指した羽生結弦(27)=ANA=は283・21点の4位に終わった。フリーでクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)に挑んだ王者の演技について、直木賞作家の馳星周さん(56)がスポーツ報知に特別寄稿した。

 三連覇は無理だろう。五輪がはじまる前から、いや今シーズンがはじまる前からそう思っていた。

 ソチもピョンチャンも、最高の演技をすれば勝てるという大会だった。だが、今回の北京は、完璧な演技をしても、ネーサン・チェンがミスをしない限り勝てない。そういう状況だったからだ。

 羽生結弦本人も、それは承知していただろう。だからこその、四回転アクセル(以下、4A)への挑戦だったのだ。

 普通の選手なら、五輪を二連覇した時点で引退している。それをしなかったのは飽くなき挑戦への渇望だろうし、自身にできる最高の演技をしても勝てないのなら、勝つための武器を手に入れるしかない。その武器はまた、万人が見たいと望むものでもあった。

 羽生結弦が成し遂げる人類最高難度の技。

 そのための北京五輪。

 メディアがどれだけ盛り上げようとしても、本人も、そして彼のファンも、メダルの色など気にしていなかったはずだ。

 だから、ショートの演技でまさかのミスによって出遅れてもかまいはしなかったのだ。

 五輪の舞台で4Aに挑む。それがただひとつの目標なのだから。

 おそらくは満身創痍であったろうと思われる。二十七歳という年齢は、アスリートとしては間違いなくピークを越えている。そこに加えて過酷な4Aの練習だ。踏みきり(後)に使う右脚はまともな状態ではなかったに違いない。

 それでも羽生結弦は挑戦することを諦めたりはしなかった。

 貪欲。

 それが羽生結弦というアスリートを評するに最も相応しい言葉だと思う。

 金メダルを取っても満足せず、五輪二連覇という偉業を成し遂げてもよしとせず、貪欲に更なる高みを目指し続けた。

 貪欲さこそが彼の持つ最高の才能だったのだ

 フリー演技の冒頭、羽生結弦は迷うことなく4Aに挑んだ。そして、跳ね返された。

 この時点で、もう得点も順位もどうでもよくなっていた。その後の演技が羽生結弦にしてはいささか精彩を欠くものになったのもしょうがない。

 4Aを成功させるか否か。ただそれだけの五輪だったのだから。

 会心の演技を決めたときの彼は、鬼が取りついているかのような形相になるのだが、今回は魂が抜けたかのような表情を浮かべていた。あれがすべてを物語っているようにわたしには思えた。

 この後、彼がどの道を進むのかはわからない。引退か、あるいは4Aに挑み続けるのか。

 いずれにせよ、わたしがこの十年以上に亘る彼の演技を忘れることはない。

 羽生結弦は間違いなく史上最高のフィギュアスケーターだった。彼の存在が、男子フィギュアスケートのレベルを数段階引き上げた。貪欲で美しく、鬼気迫る。そんなスケーターは後にも先にも彼しかいない。

 ネーサン・チェンの優勝も鍵山優真の大躍進も、羽生結弦という選手の存在があってこそだろう。みな、彼に憧れ、彼に勝とうとして高みを目指したのだ。

 八年前、羽生結弦はパトリック・チャンという当時の絶対王者を引きずり下ろして玉座に就いた。そして、今回は玉座をネーサン・チェンに譲った。

 アスリートの世界はそういうものだ。

 それでも羽生結弦の功績が色褪せることはない。

 羽生結弦君、君だけが表現できた美しい孤高の演技を見るのは極上の喜びだった。

 ありがとう。

 ◆馳 星周(はせ・せいしゅう)本名・坂東齢人(としひと)。1965年2月18日、北海道・浦河町生まれ。56歳。苫小牧東高、横浜市大卒。フリーのライターを経て96年「不夜城」で小説デビュー。吉川英治文学新人賞、日本冒険小説協会大賞を受賞する。98年の「鎮魂歌―不夜城2」で日本推理作家協会賞、99年「漂流街」で大藪春彦賞を受賞。2020年「少年と犬」で第163回直木賞を受賞した。

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